遊びの中で育つ仲間関係とファシリテーション☆

玉川大学の教育フォーラムに参加してきました。
http://www.tamagawa.jp/cgi-bin/event/page.cgi?no=510

その中、幼児教育の分化会に参加してきました。


結論としては・・・。すごく考えさせられた!勉強になった!!
幼児教育は、まったく知識がなかったけれど、アドベンチャー教育が求めているものと等しいものだと感じた。

保育者=ファシリテーター


「遊びがなぜ大切か?」
幼児教育のシステムや制度がいくら変わっても変わらないのが遊びの重要性。

幼児期に遊びを体験した子と、遊びを充分に体験しなかった子は、何がどう変わってくるのか。



<模倣から見る子どもの仲間関係>

カウンセリング等でも、相手の動作、行動をマネすることで、親密性を高めるミラーリングという技術(?)がある。
子どもたちにも、①反応的な模倣、②意図的行為としての模倣 がある。

模倣をすることで、相手と同調をし、親密性を増す。その結果、他者を排除することにもなる。
また、2人の関係から3人の関係になる難しさもある。
これを子どもたちも、仲間との関係の中で自然と行っている。
相互に模倣をし合うことも。



<大人の「よかれ」という思い>

大人が、子どものためだと思い「よかれ」と思って、手を貸したり、提案したりすること。
それは、本当に「子どものため」という原点とマッチングしているのか・・・。

「見守る」「委ねる」ことの大切さ。
また、「モデルを見せる」ことの大切さ。
もちろん、「提案」したり、「直接的に関わる」ことも、時として必要。

ファシリテーションだなぁ。

3人の子が2人で遊んでいると、ついつい「3人で遊びなさい」と言ってしまいかねない。
きっと、何か理由があったり、その行為がその子に必要なのかもしれないという可能性を、どこかで考えている必要性がある。



<遊びはなぜ重要なのか>
遊びは、その行為自体が目的であり、自発的なもの。
そこに外発的な動機づけはいらないはず。
楽しさの中で、自然の身につけるスキルや、体験に基づく知識がある。
それを「学ぶ」のに努力したという意識はないはず。
「全人教育」だな。


「子どもの力を引き出す」という言葉には、教師のエゴが見え隠れすると思う。
子どもに機会を与えるのは、教師の義務。
無理矢理やらせることが必要な場合もあるが、いつでもやめる選択肢というのも残したい。
逆に、「やりたい」という意思を持って,夢中になってそれに取り組んでいるならば、その行為を止めるのもおかしい。

子ども一人ひとりに合わせた方針があることが理想だと思う。



「目に見える力」を伸ばすことばかりに取り組むと、「目に見えない力」の成長を見逃してしまう。


遊びがもたらす、人間としての成長について、もっと勉強してみたいと思った。